職人芸をビジネスに持ち込むな

現場レベルと経営者レベルのハザマに位

昨日のBLOGは「職人」が大切で、職人がこれからソフトウェアの現場で育成していくような環境があればいい。のような感じで言及したが、こういったのはどうだろうか?

職人芸をビジネスに持ち込むな
http://pixie.homeip.net/geek/archives/002029.html
「馬と鹿の友人たち」〜番外編:仕事をため込む人
http://www.flowerlounge.com/archives/000334.html
キーワードとなる項目は以下のようになる

  • 仕事をため込む人というのは往々にして「自分がしなければ」という強迫観念にとり悩む
  • そして自分自身で仕事を増やす
  • できない仕事を断るのは責任のひとつ
  • その充実感は自己満足でしかないでは?
  • スマートじゃないけど、チームプレーが一般的な会社の原則
  • 「これはだれそれじゃないとわからない」といった部分はなくし誰もが同じように扱える事こそが重要

この二つの相対する(様に見える)二つの話はどうだろうか?
最初読んだときは正反対のことような内容に見えたが、よく考えれば「同じベクトル(方向)に向かっている話=よりよい開発へ向かう」であることに気がついた。


だから二つとも同じキーワードを含んでいるのであろうか。

  • どちらも「人」を中心としたチームプレイ中心であるということ。
  • 単に技術力という意味での重要さは深い意味を持たない


→解決策として
「〜〜に関しては**さんしかわからない」といったプロダクト生産に関して足かせになる仕事の区分けは、仕事の集中化ははっきりってよろしくない。
ならばそこの部分を「情報共有化」して、皆で扱えるようにすることが解決策だと重います。

ただし、
二つのメタファーは同じ言葉を使っていても微妙に意味や、意図が違ってくる
合理化中心が言う所の「職人」
 「特殊特別な仕事ができる人、その人にしかできない。*1。受け継がれるのは一子相伝
現場中心が言う所の「職人」
 「ソフトウェで起こる危惧を回避する能力がある人間」
この部分は結構食い違いがあり、合理化中心の方々は「職人」を否定的なところで見る(本当にわかっている人はむしろ職人芸についての評価が低すぎると思っている)傾向があり、ソフトウェア工学中心の方々は「職人」を肯定的な目で見る(この肯定的な意見も選民思想を生む土壌となるのだが・・・)。



「経営」という言葉から連想すると「金儲け」「ビジネス志向」「顧客至上主義」といったイメージが先行する。人によってそういったイメージは「上の人間は何もわかってくれない」とか「経営者は自分らの給料を搾取している」といった考えにスライドする人もいるのではないか?特に現場レベルの人間はよくありがちだと思われる(実際本当に何もわかっていない管理職は存在する)。

が、


視点を変えて・・・・

よくよく考えてみると、経営者も僕ら技術者とは畑違いの「職人」であると思えてしまう。
「なぜ?」と思うかもしれないが、彼らも「プロ」であり、「経営者としてのこだわり」というものが存在するからだ。
「そうなのか?」と考えてしまうかもしれないが、
「職人」という言葉の真意は「自分の仕事にこだわりがある」ということが前提であるはずだ。
それは別に技術云々の問題ではなく「こだわり」という部分に対してである。

( ´・_・`)ソウカナーと思ったのはつい最近である。
最近の会社内での飲み会(というか接待)で営業部長と飲んでいたときに話した内容

G「部長お疲れ様でした」
部長「いやいや、こちらこそほんとうにお疲れ様です」
G「いやー、今回の案件どうなるかと思いましたよ。納期直前で部長が客相手にぶち切れてましたから^^;」
部長「ああ、あれ?あんなんいってみればパフォーマンスみたいなもんやで」
G「Σ(゜Д゜;≡;゜д℃(゜д゜)エ???」
部長「あれ?G君もしかして本当に俺が感情的に切れたと思っているの?」
G「違うんですか?((´Д`)?」
部長「当たり前や。そんなもんちゃんと『落としどころ』を見極めて切れたんやで」
G「ゲ、そうなんすか?」
部長「相手のお客さんは納期前に無茶な変更変更ばかり言ってきたやろ?だから、それを逆手にとって、こっちも突っ込むところは突っ込まなければならない。そういういってみれば駆け引き的なことを行うことによって、今後のアドバンテージを有利にさせなければならないんだ。いくら、顧客至上主義であったとしても「なめられっぱなし」ではこちらの思惑通りに持って生かすことすらできないからね。」

酒ばっか飲んだくれているオッサンかと思いきや、こんな政治的な駆け引きをする策士だったとは・・・( ̄ー ̄;)



「俺は営業とか経営とか興味がないから」とか「現場レベルではビジネスプランとかそういったことを考える必要がない」という考えを持つことは自分の世界を狭めている可能性があるのではないだろうか?と思ってしまった。さら拍車をかけると日本人はなぜか「金儲け」に対してのマイナスのイメージが強い(悪巧み、悪どいだのetc...etc...)。

「金儲けということは、会社という(法)人に対しての純粋な行為である、法人というものは基本的にそれ(金儲け)のみを行動理念として動いているものである。」

というのは昔大学で商法のゼミの教授の名言であった。

要は

    • 「現場レベル」というミクロ的立場と
    • 「会社的レベル」というマクロ的立場

を両方考えることではないでしょうか?



ただし、それでもあえていうならば
自分自身は

開発者としての自覚を忘れることなくまい進して聞きたいし

それを踏まえた上で畑違いの管理職の人間たちを手を取り合ってやっていきたいと切に願いたいと考えます。



まとまりわるくてごめんなさいM(__)M

*1:わかりずらくてごめんなさいorz